陸マイラーのせかいのたび

ANA中心のマイラー、ゆる~く14年生。2016年に情勢の変化を知り、びっくり!世界一周航空券を使って、2017年SFC修行、2018年JGC修行しました。

【ソラチカルート閉鎖後】相変わらず外食案件にはまってます

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ソラチカルート閉鎖は、一大事件ですが、

個人的にも、この4月には一大事件がありました(ちょっと大げさ?)。人事異動です。

新しい場所、新しい仕事、新しい人に慣れるのは、いくつになっても最初は大変なものです。

気持ちは前向きに頑張ろうと思っていても、身体の方は、声を出せない分、なにかを訴えているような気がしています。

なぜかというと、この2週間で、久しぶりにアトピーがひどくなったからです。折しも、今日は約8年ぶりに、アトピーの関係で知り合った方々と会うというのに、良い状態を見せられないことを残念に思います。 身体の声を聞きつつも、気持ちは明るく、元気にいきたいと思っています。

さてさて、前置きが長くなりましたが、今日は外食案件のことをお話したいと思います。

ポイント活動をはじめてから、2年目ですが、私の場合、ポイ活開始前にクレジットカードはかなり作っていたこともあって、大きくポイントを稼ぐには外食案件がよいなと思っていました。

たまに、ネスカフェアンバサダーのような、大きなポイントにも手を出してみるのですが、なぜか承認されず、一攫千金はなかなか狙えないものだと実感しました(ちなみに、バリスタちゃんは、夫と子供がはまっていますので、使い続けておりますが、見るたびに、ポイントがつかなったことを悲しく思い出してしまいます)。

お友達に、「外食して、ポイントがついて、現金やマイルに換えられるから、とってもお得だよ!」と話すと、

皆さん、顔が「」になります。

そして、「でも、お店には自分のお金を出すんだよね。それって、得な気がしない。家で食べるのが一番お金かからないと思うけど。」と言われます。

・・・なるほど

でもでもでも、

もし外食する機会があって、それをポイントに絡ませられれば、やっぱりお得だと思います!!

(私のように、無理やりでも外食している場合は、損得勘定難しいですが、マイルのためなら、OK・・・・・です!)

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私は、↓ファンくる↓ を中心に外食とお買い物の案件をしています。

覆面調査ミステリーショッパーのファンくる

2018年3月31日にソラチカルート閉鎖前には、もちろん、ポイントを移行しました。移行直前の画面がこちら↓です。

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3月移行が194,500P + 2月移行が191,790P = 386,340P

今回は、ソラチカルート閉鎖前に移行しているので、マイルに換算するには、0.1×0.9という計算になり、

34,770マイルになります。

レギュラーシーズンの場合、40,000マイルでハワイ、20,000マイルで香港や台湾の特典航空券ゲットできますから、夢が広がります♫

ソラチカルートが閉鎖したあとも、マイラー活動は続けていきたいので、外食案件を続けている今日この頃です。

旅の思い出2 2回目の海外はアメリカ卒業旅行 ③34日間アメリカ満喫

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一生懸命、旅程を思い出そうと思いましたが、ずいぶん忘れてしまって自信がありません。

Y子ちゃんに会って聞いてみたいなぁ。

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【成田空港往復】

Y子ちゃんの彼が、送ってくれて迎えに来てくれました。

私のことも一緒に。

今思えば、お邪魔虫ですね。

Y子ちゃんはその彼と結婚。結婚式にも行ってきました。今頃どうしてるかな~

【リコンファーム】

私が、旅行した30年ちょっと前は、飛行機に乗る前に「リコンファーム」が必要でした。

今はほとんどの航空会社で不要ですよね。

「飛行機に乗ります」ということを航空会社に事前に伝えなければならなかったのです。

サンフランシスコ滞在中に、ユナイテッド航空に電話をしたのだけど、全然英語が通じなくて(泣)。

ユナイテッド航空の方も困って、別の係員に電話を代わりました。

・・・・・中国語の方が出てきた・・・・もっとわからない・・・・

これに懲りて、次からは空港で、次のフライトのリコンファームをすることにしました。

身振り手振りって、すごい力です。あれ以来、英語で電話って、ホント無理です。

【ホテル探し】

今のように、ネットで予約なんて時代ではなかったのです。

現地に行って、宿を探す方式でした。

その際、最初参考にしていたのが「地球の歩き方」。しかし、行ってみると、「・・・・・」とか「!!」とか、いろんなことがありました。(もちろん、いろんな場面でとっても役に立っていて、いまなお地球の歩き方ファンです)

ロスでは、ホテル代を先払いさせられて、やっぱり泊まらないことにしたから返金請求したけど、返金してもらえなかったり、

ディズニーワールド近くのホテルがどこも満室で、泣きそうになったり、

ワシントンDCでは、ボロボロのホテルで、鍵も怪しくて、ドアに椅子を並べて用心したり、

いろんな思い出が蘇ってきました。

確か、1泊の予算を決めていたのですが、かなり低予算だったと思います。

【おわりに】

34日間、英語もちゃんとできない2人が、いろんな小さいハプニングにあいながらも、力を合わせて34日間の楽しい旅を満喫しました。

大きなハプニングがなかったのはラッキーだったし、「次はもしかしたら一人旅ができるかも」ってちょっぴり自信がつきました。

英語を話すことができなくても、なんとかなる、ちょっぴり度胸もつきました。

同時に「やっぱり英語を勉強しなきゃ!」と痛感しました。

(う、、、あれから30年、進歩してないけど。というか、退化してるかも?)

学生の時に2回の海外旅行で、旅行の楽しさ、素晴らしさを知りました。

社会人になって休みにくくなっても、「なんとかして旅行に行きたい」という気持ちがあるからこそ、仕事をやりくりして休みをとったり、 旅行を目標に仕事を頑張ったりしています。

私の場合、旅行にはいくつかのタイプがあって、いろんな楽しみ方があります。

家族旅行、友人との旅行、そして一人旅です。

一人旅は、海外という異空間に自分ひとり。完全に違う世界なので、旅のいろんな醍醐味があります。 私の人生3回目の海外旅行は一人旅でした。 びびりの私が、海外へ一人で旅にでるなんて、親も友人もびっくりしてましたっけ。 一人旅へのステップになったのは、アメリカ卒業旅行です。この旅を経験していなければ、いまなお、一人旅はしていないかもしれないな、と思う今日この頃です。

旅の思い出2 2回目の海外はアメリカ卒業旅行 ②準備編~ユナイテッド航空国内線をどう使おうか~

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アメリカといっても広いから、どこへ行こう、お互いの家を行き来して、計画しました。

私もフリーの旅行は初めてですが、計画するのがこんなに楽しいとは知りませんでした。

私たちが卒業旅行向けのパンフレットの中から選んだのは

「ユナイテッド航空利用 アメリカフリー旅行!サンフランシスコ1泊、ホノルル3泊、国内線4枚つき」

というものでした。

うろ覚えだけど、180,000円だったような記憶です。

私が、アメリカに行きたい大きな理由が

ディズニーランドへ行きたい!!

でした。

若い方は、生まれた時から、日本にディズニーランドがありましたよね~

私が小さい頃は、ありませんでした。

幼少時に、テレビでアメリカのディズニーランドのことを見た時から、「いつか行きたい!!」強く憧れました。

その後、私がかな~り大きくなってから、日本にもディズニーランドが!!

早く行きたい気持ちが通じたのか、オープン前の関係者招待日のチケットをいただきました。

あの日の興奮は、忘れません。

東京にディズニーランドが出来て、ほんの数年で、卒業旅行として、アメリカのディズニーランドにも行くチャンスが!!

ついでに言うと、卒業旅行から帰ってきて、入社前日にも、東京ディズニーランドへ行き、閉園まで遊んでいました。

今の感覚では、「そんな大事の日の前に?」って思うけど、当時は、疲れ知らずだったんだろうな~。若かったな~。

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そんなこんなのディズニー大好きな私にとって、ロスのディズニーランドとフロリダのディズニーワールドは絶対外せない。

もちろん、ほかにもアメリカ国内行きたい所はいっぱいある。

●ニューヨーク

●ワシントンDC

●グランドキャニオン

●ラスベガス

Y子ちゃん、ボストンと、フィラデルフィアは最後まで迷ったよね。

ユナイテッド航空の国内線が4枚ついてるチケットだったから、これをどう使おうかが、大きな課題でした。

なるべく、遠くに飛んだ方が、お得なのはわかる。

時刻表をユナイテッド航空の東京支店までもらいにいってきて(今みたいにインターネットのない時代だからね~)、あーだこーだ、夜更かしして考えた。

成田→(最初からついてる国際線)サンフランシスコ→(国内線1枚目)オーランドワシントンDC(国内線2枚目)...(アムトラックで移動)...ニューヨーク→(国内線3枚目)ラスベガス→(国内線4枚目)ロサンゼルスホノルル→成田

ついに、旅程が決定しました。

旅の思い出2 2回目の海外はアメリカ卒業旅行 ①決意編

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大学3年と4年の間の春休みに、初めて飛行機に乗った私は、「すぐまた旅行に行きたい!!」気持ちを抑えて、就職活動をしましたよん。

そして、就職が決まると、せっせとアルバイトをしました。

もちろん「卒業旅行」の資金にするため!

「学生のうちに、ヨーロッパとアメリカに行きたい」そんな夢を持っていました。

仲良しの友人からは「春休みっていっても、北半球は寒いよね~。南半球がいいよ。オーストラリアがいい!」と言われ、かなり気持ちはぐらつきました。

今思えばですよ、「両方行けるじゃん!!!」

もちろん、当時は、そんな発想ないです。当時の私の常識は、どっちか、ひとつに決まってます。

当時(30年ちょい前)、アメリカはちょっと怖いっていうイメージがありました。

「アメリカはダメって、親が言う」「添乗員付きツアーじゃないとダメって、親が言う」そんな友人もいました。

実際、卒業旅行でアメリカに行きたいという男子はいたけど、女子は私の周りにいなくて、「一人で行ってみようか、どうしようか。」と考えていました。

そんなところ、友人が「アメリカに行きたいっていう友人(女子)がいるよ」ということで、引き合わせてくれました。

Y子ちゃん。

「卒業旅行にアメリカ行ってみたい!」というので意気投合!!

「アメリカといっても広いよね~。どこへ行く?どうやって行く?」仲良くなって、何度も何度も会って話をしました。

Y子ちゃんに会いたくなりました。何年、年十年も会ってない。元気にしてるかな~?

ちなみに、初めて海外(ヨーロッパ)に一緒にいったN子は、高校時代の部活仲間ということもあり、時々会ってます。一昨日の祝日にも会いました。

でも、現在、Y子ちゃんとは音信不通なのです。アメリカ34日間旅行した仲なのに、連絡先も知らない。会いたいな。

私が忘れかけてるアメリカ旅行について、語りたいよ~

旅の思い出1 初めての飛行機はヨーロッパへ向かう ⑥(最終回)23日間の旅程を思い出してみた

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記憶が残っているうちに、ブログに書こうと思いましたが、なにせ30年(以上;)前の話。

表にまとめようと思ったら、やっぱり、ずいぶん忘れていました。

写真も、もちろん、デジカメじゃないですから、ネガの時代ですから、プリントしてどこに保管してるのかもよくわからない状態(たぶん、増えた家具で開けられなくなってしまった場所に入ってるハズ;)

全部で23日間というのは記憶にあるのですが、ロンドンに3泊した記憶だけど、そうすると全体の日数が合わなくなってしまうので、2泊にしたり(汗)。

だいたいこんな感じだったかな~。今度N子にも聞いてみよう!

今思い返しても、初めての海外旅行は、毎日毎日が夢のような日々でした。

小さい頃から、ずーっと憧れていたヨーロッパに、アルバイトでせっせとお金を貯めて行くことができて、本当に幸せでした。

思い出すと、日程の最初の方に行った場所ほど、感動が大きかったような気がします。

パリに着いたとき、あんなにあんなに憧れていた場所なのに、もっと感動すると思ったのに、毎日感動しすぎて、感覚が麻痺したような気がしているって思いましたもん。

最後に、この旅で特に覚えていることをお話して締めくくりたいと思います(くだらない事ばっかり覚えててスミマセン)。

・アテネの搾りたてオレンジジュースはとっても美味しい。パルテノン神殿近くの路上で売ってるヘーゼルナッツも美味しい。

・ローマのレストランで、最初にスープとパスタを頼んだら、「どっちか」しか頼めないとのこと。魚を頼んだら、ずらりと氷の上に並んだ魚からオーダーするシステムだった。会計時、びっくりするような高額だったので、尋ねたところ、「その金額は100gあたりの金額だから」みたいな説明でした。ぼったくられたのかどうか、いまだに謎。

・フィレンツェで買った皮の手袋(中に毛皮つき!)が素晴らしかった。お店のおじさまが私の手を触って、ぴったりのサイズを持ってきてくれた。長年愛用していたが、ボロボロになり捨てる時は悲しかった。また買いに行きたい。

・ローテンブルグで泊まった宿がかわいかった。新婚旅行でローテンブルグに行き、「今日どこに泊まろうか?」と思っていたところ、その宿を偶然見つけ、また泊まりました。

・ベネツィアからウィーンまで夜行列車に乗ったが、興奮やら盗難の心配やらなんやらで眠れなかった。朝、ウィーンに着いたときには、うれしかったが、寒すぎた。

・ウィーン初日は、バスに間違えて乗ってしまい、なんだかわけわからない場所で降りた。凍るような寒さに参った。そして美術館(王宮宝物館だったかなぁ?)にやっとたどり着いたら、閉館間近で、アセアセで鑑賞した。

・ウィーンでは、ザッハトルテを食べる予定だったが、巨大なウィンナーシュニッツェルで満腹になり、食べられず、リベンジを誓った。2017年夏にイタリアのボルツァーノで、まさかのザッハトルテに御対面ができ、食べることができました(今日の写真はその時のものです)。

・チューリッヒで、チーズフォンデュを食べに行った。パンのほかに、なにか具を頼もうと思ったが、ドイツ語で全く分からず、適当に頼んだら「洋梨の缶詰」がどっさり出てきた。チーズにつける意味が分からず、そのまま食べてみたが、山盛りの洋梨(缶詰風)は食べきれずに残した。

・マドリッドのマクドナルドで「セットメニュー」を頼んだつもりが、「巨大なコーラ」のみ出てきた。

・同じツアーの人がパリでぼったくりタクシーに遭遇してしまったとのことで、バスの中でカンパ袋が回ってきて、カンパした。

・ベルサイユ宮殿に友人N子と2人で行ったが、たまたま日本人ツアーと一緒になった。そこのガイドさんから「私のガイドは聞かないように」と注意されてしまった。たまたま一緒になっただけなんですけど。

そんなこんなの楽しい23日間でした。

N子、本当にありがとう!!すっごく楽しかった!私の一生の思い出です。あれから、何度も旅に出たけど、あの時の感動は特別なものです。まさにあれが私の旅の原点。

N子のお父さん、お母さん、成田空港まで車で送ってくれて、お昼ご飯御馳走してくださり、お迎えにも来てくださり、ありがとうございました!

心配しながらも送り出してくれた家族や私の周りの方々、ありがとう。

帰国すると、私の大好物「里芋の煮物」と「おはぎ」を母が作って待っていてくれていました。

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旅の思い出1 初めての飛行機は南周りヨーロッパ ⑤ツアーでよかったのか

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初めての海外旅行は、添乗員さんつきのツアーだったため、フリータイムの事はまだ少し覚えているのですが、団体行動の時は、自分で調べて行ってないせいか「どこへいったんだっけ?」って記憶がなくなりつつあります。いえ、ほとんど覚えていないという方が正しいかも。

そういえば、ドイツでは、ローレライっていうのも見たなぁ。とか。

あの教会は、なんていう教会だったけ。とか。

ツアーは確かに効率的にたくさんの場所に行くことができます。

ガイドさんもついてくださるので、歴史的な話、面白い話などなど聞けてとってもよいです。

しかし、自分で調べなくても連れて行ってもらえるので、結果、時間がたつと忘れてしまうんだろうなぁ。

効率は悪くても、苦労して、やっとたどり着いた場所って、とっても思い出に残る。

どっちがよいかは個人の好みだと思います。だから、どっちがよいかは、その人次第。

私は、過去は「反省すれども後悔せず」をモットーにしていますので、最初の海外旅行はツアーでよかったと思っています。

やっぱり、未知の世界過ぎて、フリーで行けるかどうかよくわからなかったし、親も心配していたし。

最初のツアーを経験したからこそ、「2回目はフリーで行けるかも。次はフリー旅行がしてみたい!」って気持ちが固まりましたもん。

ただね、最初の海外旅行が大学3年と4年の間の春休みだったものだから、次の旅行が学生旅行の最後、卒業旅行になりました。

もうちょっと、早く最初の海外旅行に行っていれば、憧れの「ヨーロッパフリー旅行」に行けたのになぁっていうのは、今でも時々思うのです。

卒業旅行では、「学生のうちにアメリカに行きたい」と「ヨーロッパフリー旅行にも行きたい」とが葛藤して、前者のアメリカ旅行にしたからです。

もしかしたら、どっちも行けた?

行けたかもね。当時はそんな発想にならなかったけど。

30年たって、10日間でアメリカ大陸もヨーロッパ大陸と回る世界一周航空券を使うようになるなんて、当時は考えてもなかった。

昨年は、10日間で地球を1周ぐるっと急ぎ足でしました(SFC修行のためなんて言いながら、通常ならできない経験をして楽しんできました)。

旅の思い出1 初めての飛行機は南周りヨーロッパ ④いよいよ出発

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ついにその日はやってきました。

私の記憶だと、2月22日だったような。

N子のご両親が成田空港まで送り迎えをしてくれました。

N子の家の車がうちまで来てくれて、私の母がお見送り。母の目がウルウルしていて、というか泣いてたと思います。

母をこれまで何度も「一緒に海外旅行へ行こう」と誘いましたが、首を縦に振ってくれません。

母にとっては、海外って未知のところです。私を送り出すのがとても心配だったのでしょう。

その気持ちは、母親になった今わかります。

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成田空港で、N子のご両親にごはんを御馳走になりました。当時、ラウンジがあるなんてことももちろん知らなかったし、入る資格もないしね。

ドイツ料理だったのかなぁ。大きくて美味しいソーセージを食べたような記憶です。

ごちそうさまでした。

そして、集合時間になり、添乗員さん、ツアーメイトとご対面です。

添乗員さんは、優しそうなお姉さまでした。自己紹介で「最初、商社に勤めていたが、転職しました。学生さん向けのツアーは、フリータイムが多くて、気に入っていて希望して添乗しています。フリーの間は、私も各地の友人と会ったりして楽しんでいます」とおっしゃっていました。素敵!

仲間は、男子学生が確か4人組、女子大の女子学生も確か4人組、あとは、関西からの女子学生2人組と、関東からの女子学生2人組と、私たち2人組、、、これで計算すると、14人か、、もうちょっと多かったような気もするな。当時はケータイもパソコンもメアドも何もなかったから、どなたの連絡先もわからないけど、今久しぶりに顔を思い出していました。懐かしいです。

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初めて乗る飛行機は、本当に緊張しました。

隣のN子の手を握っていましたからね。

実を言うと、今でも離陸と着陸のときは、とても緊張して手を組んでお祈りしています。

この話、よく笑われちゃんですけどね。

初めて乗った飛行機は、成田空港を出発し、給油地カラチを目指しました。

カラチでは、白い服を着た人たちが、機内に入ってきて粉を巻いていたという記憶。あれって、なんだったんだろう。消毒?いずれにしても、私はびびってました。

そしてルフトハンザ機がフランクフルト空港に到着すると、飛行機を乗り換え。今度はオリンピック航空に乗ります。ルフトハンザに比べると、機体が古そうだし、機内食の食器がぼろかった記憶です。

成田を出発して、どれくらいたったのでしょうか。ようやく、最初の目的地、アテネに到着。

そう考えると、私が初めて行った外国は、ギリシャということになります。

パルテノン神殿など、「教科書の写真と同じだ!!」なんていう感動でした。搾りたてオレンジジュースの美味しさにも大感動しました。

イドラ島の美しさにも魅了されました。いつか、またギリシャに行きたい!そう思って、もう30年か・・・